人間が死ぬ直前に見せる目の輝きは、ただ眼圧に耐え切れず。瞼からあふれんばかりの目になることがある。脳腫瘍で亡くなった叔父は、腫れ上がった脳に押し出されんばかりに、目をギョロリとし、定まらない焦点で空を喘ぎ、もがく手でぼくの手を握った。肥えていた体は骨と筋に変わり果てた、叔父の手は血のない剥製のように冷たく、伸びた爪は肉に食い込み、青白く青白くなっていた。張り付いた手は生を求めんばかりに、強くぼくを握り、死から逃れようとしていたのだろうか、それとも強く強く打った鎮痛剤、モルヒネ、局所麻酔が強く筋を動かしたのだろうか、ぼくにはわからない。
私の周りでは多くの人が死ぬ、悲しい事だが身内だけで葬式に事足りない。叔父の葬式はこじんまりとしたものにする予定であったが、籍を向こうに変えたも同じの叔父は向こうの意向に私達は従うしかなく、盛大ではないもののしめやかな葬となった。
葬式宗教とどこかで読んだ。今私の周りにあるのはさまざまな宗教だ古くからあるものもあれば、KKKフリーメイソンも教の一種に近い。じゃあ昔の宗教がなぜ今も残るのだろうか?考えてみたことあるようで、葬式の時以外私達は、宗教から離れている。そう、宗教のつながりが薄くなっている。死して人は49日間かけて閻魔大王に審査される。初七日で川を渡り、多くの王に見られ49に審査を受け死者に魂は輪廻転生に乗るのか、畜生の地獄に落ちるのかが決まる。死してなお極楽を求めるのか?と思うかもしれないが、昔に人は死を余りにもそばにあり恐れた。しかし死は変えられないものでもある。
亡くなった祖父は仏教に傾倒していた。祖父をそう、動かしたのは戦争だった。インドネシアまで降っていた祖父は軍曹として、刀を振っていた。刀片手に弾を潜り抜け、戦地を転々とした、刀を振り上げれば弾は逸れた。嬉しそうにそう話していたのを幼稚園ぐらいのぼくは、かっこいいとすら思っていた。しかし、話から赤い血の色は決してなかった。戦地から帰還した祖父は、家業に近い繊維屋さんしながら、いつしか仏教に傾倒していた。それは狂信的ではなく、生活の一部に仏教を組み込んだ。朝昼晩と、きっちりと仏壇の前で教を唱え、集まりや委員長を勝って出た。祖父は仏教に懺悔と人との繋がりを見出していた。
祖父のお葬式には日本各地から教徒さんが来た。否かの小さな式場には収まらず、外まであふれた。葬の送り教に本山から偉い人まで来て、私がと買って出た。
徳を積むことが死後の幸せを約束するわけではない、ただ徳を積めば多くの人に死を悲しみ、多くの人が最後の顔を見に来ようと足を運んでくれる。
ぼくが死んだ時に誰が悲しむだろうか、長生きすればするほど、周りは減るだろう、悲しまれたいわけではない、ただ1人で出て行くのは生けるものとして寂しい
叔父のように変わり果てた顔でも見に来てくれる最後でありたい、自ら命を絶った彼のように「若いのに」「先に死んで」と哀れるわけでなく「往生ね」と一言言われる最後でありたい